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会報一部(64号) 2008/09/01UP |
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先日クイズ番組を見ていたら「妻は知らないだろうと思っている夫がカツラの場合、妻はどのように知っていることを教えてあげるのが正しいのか?」という場面があった。内容といえば「夫は誰にもわからないと思ってカツラをかぶっている。妻にも言っていなくて黙っている。ところが誰が見てもズラとわかるようなかぶり方をしている。近所の人も『あそこのダンナさんカツラだってぇ』と皆知っていて笑いものになっている。妻としては、どのようにして夫に皆にばれていることを教えてあげたらいいのか?」というものであった。見ていて腹が立ったので、正確な答えは忘れてしまったが、たぶん「きちんと教えてあげる」というところが正解(?)だったような気がする。 これを見た大人たち・子供たちは、どう捉えるのだろうか。「ハゲていることをカツラで隠していることは潔くない。それもばれるような状態でカツラをかぶっているなんて最低である。そんな時には本人にきちんと教えてあげるのがマナーである」というような誤解を与えてしまうだろう。これを元に円形脱毛症の子供たちは、学校で他の生徒からきちんと教えてもらうことになるかもしれない。人は得てして、マスコミの都合のよいところを取り上げて「社会的正義」と勘違いしてしまうことが多くある。それも「笑い」のためならわざと勘違いしてしまうのである。 お笑いやクイズ番組のブームである。私も根っからの大阪人なので漫才やコントなど嫌いではない。いや大好きである。でも今の番組は誰かの弱点を攻撃することで成り立っている部分が大きい。ヘキサゴンの「羞恥心」だって「物事を知らない」ということを売り物にしている。私のように知的障害者の施設に働くものにとって「おバカ」は決していい響きではない。 でも人気がある。それはカツラの場合と同様に「物事を知らないことをみんなの前できっぱりさらけ出せばカッコイイ」ということなのであろう。自分の弱点(社会的不利益)となるものをさらけ出せば、本当にカッコイイのだろうか。みんなが本当にそう思っているのだろうか。大変疑問である。 一つには社会的不利益をさらけ出してくれるものがいることで「自分のほうがマシだ」という安心感や安堵感を得ることにつながっているのかもしれない。「はっはっは。あいつ馬鹿だなぁ。あんなことも知らねぇんでやんの」であったり「あそこの御主人カツラだって。なんだかんだあるけれどもウチノヒトまだ大丈夫でよかったわぁ」ということなんだろう。 自分より劣った(と思ってしまう)人を見て安心してしまう日本人。少し寂しくなる。韓国のBSE牛に対する抗議運動。「自分や自分の周りにいる人の幸せのために戦わなくてはならない」と抗議運動に参加している沢山の人を見ていると、日本人は「怒らない民族」になってしまったんだとつくづく感じてしまう。日本人は情報操作で「何か」を見せられて「まぁいいか」と簡単に納得してしまう人々になってしまったんだろう。 会では今まで「ズラ当てゲーム」のような番組に対してBPOなどを通じてクレームをつけてきた。よい返事もあるし、悪い返事もある。対応は様々であった。でも、いつまでも腹の立つことに対しては怒っていける存在であり続けたいと思う。【ごんざれす】 |