会員手記最新号 (30号)  2003/1/7UP
「書評」 中谷 朋子さん 大阪府(前会長)
  

 とんでもない本が出た。

 キーワードは「普通」

 内容もさることながら、写真が多いことに驚く。
『聖域』そう、たとえば宮内庁の立入禁止の看板が掲げられた天皇陵に踏み込んでしまったような感覚を覚えた。私自身が当事者でありながら・・・

 扶桑社発行の「ジロジロ見ないで  〜”普通の顔”を喪った9人の物語〜」である。

 やけど、あざ、病気などで「普通」ではなくなった人たちのことが写真とともに書いてある。
 確かに「普通」ではないのかもしれない、が、その顔の中に穏やかなやさしい表情を見つけることができる。 では「普通」の人にはこんな表情があるのだろうか。自分はどうか、そんなことを考えてみる。

 そして9人目に出てくるのが「阿部更織」
 本文中に8枚の写真が出ている。その中の1枚がスキンヘッドにノーメイク。この写真の彼女がたまらなくかわいい。あどけない子どものようにも見える。本当に「小坊主みたいでカワイイでしょっ」と以前テレビで彼女が言った言葉どおり。その横にはそんな彼女を微笑んで見ているフルメイクの彼女。
 写真を見ただけではフルメイクの彼女にその中に秘められた苦悩は見えない。スキンヘッドの自分もフルメイクの自分も好きになれたと言っていたことを思い出す。

 この本の中の世界は真実であり現実である。
 しかし多くの人は道ばたで水たまりを見つけた時のようにその存在を避けて歩く。
 時々まるで新しい長靴ではしゃぐ子どものように残酷に荒らしていく人もいるが。
 そうしてたくさんの人が避けていたその水たまりにはいつしか蓋がされていたのだ。
 今、その蓋が少しずつこじ開けられていく・・・。そしてその蓋の下で蠢いていた叫びが声になろうとしている。

「私の声も聞いて!」  
 そんな衝動に駆られた。 
 言いたくても言えなかったことがたくさんある。言ってもわかってもらえなかったこともたくさんある。
 愛してもらえるなんて思ってなかったの。普通ではないから・・・
 でも、私を見て! 私を愛して! もっと! 

 「普通」とは何なのか、それがどれほど意味のあることなのか?
 「出る杭は打たれる」
 突出した個性を認めようとしない民族性。
 しかし「普通」があるのは「普通でない」が存在するからではないのか。
 確実に存在する「普通でない」を認識することがまず必要なことではないのか。
 「五体満足」だけが普通なのではないというあたりまえのことに、つい最近までは蓋がされていた。この重い蓋を開けることは一人ではできないかもしれないが、開けたいと思っている人はたくさんいるはず。今その一人一人の力が必要だ。この本は私たちにも大きな力を与えてくれるものになるだろう。そして社会の変化を助ける触媒になってほしいと思う。