会員手記バックナンバー25号  2002/03/09UP
(1)『ひどりがもの会』的幸福論?第2章 
          
大阪の兄さん 32才 男性 大阪府(正会員)
  
 自分は脱毛症である。この一点だけをとらえると不便であり劣等感の塊である。しかし自分は、とことんの不幸ではない。それは他の多くの点で、努力しやりとげてきた事へのちょっとした達成感・優越感があり、このことの積み重ねが少しの幸福感を与えてくれる。
 年配の人と話が進むと決まって出る話題がある。それはその人自身の体験談・昔の話である。人は人として生きれる礎として自分の体験・学習・見たり聞いたり経験したことを糧としているところが多い。
 一番愚かなことは、劣等感の影にかくれて自分を傷つけることであり、まったく意味がなく周りの人も不幸にするためタチが悪い。目の前にある為すべきこと興味を引くことにその人なりに納得できれば、少しの幸福感ができる。その繰り返しがいつの日か振り返ってみたとき「ああ、まあまあ幸福であったのとちがうかなあ?」と思わせるのである。

以 上  

 追伸 勢いにまかせて再び書きました。会の運営は大変そうですね。会長さんの努力は会員一人一人が認めていると思います。応援している人がいることを忘れないでいて下さいね。

(1)『ひどりがもの会』的幸福論?第2章 
          
大阪の兄さん 32才 男性 大阪府(正会員)

  
 『ひどりがもの会』は、会員同士のお互いの情報・コミュニケーションを交換できる大切な組織である。ゆえに会員ひとりひとりの前向きで積極的な参加が望ましい。
 自分が脱毛症にかかり始めた頃、「自分には悪運があるのかなあ」とよく思ったものだった。しかしその思いは今、変わっているように感じる。そもそも運というものは幸運のことを意味するのであって、悪運のことは「運がない」という言い方をする。「運がない」ということは『今現在、運がない状態』であり『これから運があるかもしれない状態』である。自分自身の意思・行動で「運がつく」という状態になるかどうかは定かではないが、少なくとも自分の運を好きになること及び自分の運を簡単に捨て去らないようにすることが大切であるように思われる。
 また一方で自分の意思とは別に、人はそれぞれ生まれた時から身体的・遺伝的に平等ではないし、地域・家族・経済的に公平でもない。ただそれでも時間の流れだけは同じように与えられる。それだけ時間の流れすなわち日々の過ごし方をいかに有効で積極的に送れるかが大切になってくる。
 そう思うと当初よく思った悪運どうこうという考えは、頭の中からなくなってきているように感じる。いかに自分の運(=自分自身)を好きになれるか、そして「よく学びよく遊べ」なのである。

以 上  
 追伸 会長さん、スタッフが増えて良かったですね。これで少し会の運営が機能的になってくれるみたいですね。どうしても地域的に関東方面の方々がスタッフとして多くなるんでしょうが、皆さん共々頑張ってください。
 『ひどりがもの会』的幸福論?は、もう終わりにします。なにか自分の考えだけを押しつけて書いているだけみたいなので、いやになりました。また今後自分自身で色々な経験をしたのち、なにか書こうと思うかもしれません。
 その時は、また送りますね。

 「20号」には第1章を書いて下さった「お兄さん」の続編と完結編です。今年からこの会報は、「新スタッフ」のみでつくって行きます。これからもみんなの「お兄さん」のように見守って下さいね。---- 「運」と聞いてまっ先に思うのは、「棚からぼたもち」の話。大学時代の剣道部の先生陣からはよく、「ぼたもちを手に入れるためには棚の下まで自分で行かなきゃならない。ただ待っているだけでは駄目なんだ」とさんざんいわれました。「運・身体・遺伝・地域・家族・経済・etc,etc,,,」と、「意思」だけではどうしようもないことなんかにとらわれず、自分の力でかえられる物事からこうこつと変えましょうね!

会員ひとりひとりの前向きなご参加お待ちしています!何しろ手紙がもう少ないので。(スタッフ今田祐治)