| 広島へ向かう新幹線の中で、流れる風景をぼんやり見ているうちに、僕の意識は次第に過去へとさかのぼっていった。
つらい過去…。脱毛症歴29年の29歳。生後6ヶ月での発症であった。全頭全身型の脱毛症。もの心ついたときには、髪も体毛もほとんど無かったわけである。(カツラを使いはじめたのは18歳から。)
常に視線を感じて生活していた。周囲で笑い声が起これば、自分が笑われているのではないかと思う。誰かがヒソヒソ話しをしていれば、自分のことが話されているに違いないと思ってしまう。道で、見知らぬ人とすれ違うとき、僕の容貌を見てハッと息をのむ。相手がドキッとするのが、こちらからは見えてしまう。
視線には苦しめられた。遠巻きに、しかしジロジロと"見物"される。それは、「人が人を」見るときの視線ではなく、「人がモノを」見るときの視線であった。モノを見るときの視線。冷たい視線。ああ、髪があれば、こんな視線を浴びなくても済むのに!何度思ったことか。今でも、年に一・二回、夢の中で、この視線にうなされる。
学校の登下校時、かぶっていた野球帽をひったくられる、隠される、捨てられる、というのは日常茶飯事だった。名前では呼ばれず、「おい、ハゲッ!」「やい、ハゲ」と呼ばれた。
それでも、みんなの中に溶け込む努力をしていた。心の底では淋しさをひきずったままで。楽しくもないけれども、周りに合わせて笑う。傷つけられて泣きたいけれども、平然とした顔をしている。悔しくて腹を立てるけれども、何ともなかったかのような顔をする。感情を偽っていると、感情が無くなっていく。すっかり感情のない子供になってしまった。
だが、一度も不登校に陥ったことはなかった。強かったからではない。学校に行けなくなってしまうのが怖かったのだ。学校に不適応を起こしてしまったら、…受け皿がない。居場所がなくなってしまう。これは怖いことだ。親も子も共に緊張していた。登校拒否さえもできなかった。
周りに同じような人がいなかった。どうして自分だけがこんな目に?苦しみや悩みを、わかちあうことのできる人がいなかった。誰とも、この苦しみをわかちあえない…。痛いほどの孤独感。板ガラス越しに世の中を見る思いだった。ほかの人たちを、見ることはできる。しかし、手で触れることはできない…。
子供ながらも、人並みの幸せから見放された感じがしていた。「こんな僕でも会社に入れてもらえるのかなぁ」「こんな頭でも結婚できるのかなぁ」。小さい胸を痛めていたものである。
子供のころ、人生は「道」のようなものだとイメージしていた。ただし、道があるのは27歳くらいまで。そこでスパッと地面がなくなって、あとは暗闇だけ…。こういうイメージしか、人生に対して抱けなかった。三十歳、四十歳、の自分は、全く想像できなかった。
あの当時、最も欲しかったのは、生きた"人生のモデル"だった。こんな病気でも幸せになれます、と、身をもって教えて欲しかった。
カツラを使い始めたのは、大学入学を機にである。人の視線から「放っておいてもらえる」というのはとてもラクだった。目立たないことの気楽さ!
ところがもはや、人と親密になれない人間になってしまっていた。表面的な付き合いならなんとかできる。付き合いを、そつ無くこなすことはできるだろう。しかし、人と親しくなれない…。
どの「場」にいても「自分は場違いだ」と感じてしまう。人の中にいても孤独を感じる。いやむしろ、人の中でこそ孤独を感じる。さびしい、さびしい、さびしい。
生きていくのが怖い。いますぐ自ら命を絶つことが、とても魅力的に思えてくる。駅のプラットホームで、最前列に立っていると、「誘惑」にかられる。もはや自分で自分をコントロールできない…。すがる思いで、精神科に助けを求めた。
この会の存在を知り、入会したのは4月。同じ体験をした人に出会いたい。その一心で、セミナーが開かれる広島へ向け、僕は新幹線に乗り込んだのだった。
広島のセミナーでの体験を……うまく表現することができない!強いていうならば、『初対面なのに懐かしい』、だろうか。それほど、不思議な体験だった。
分かりあうのに、言葉を多くは要しない。こんなこと普通ありえるだろうか。非日常的かつ感動的体験だった。
生まれて初めて、ここは、自分が居るにふさわしい場所だ、居てもいい場所なんだ。そう感じた。
ただの慰めあいではなく、しっかり「わかちあい」ができたと信じている。
帰りの新幹線の中ではずっと泣いていた。音もなくハラハラと涙が流れつづけた。長年凍りついていた感情が、氷解しはじめたかのようだった。
現在、事務局に、お手伝いさせていただき始めた。「仲間」との出会いが増えつつある。それにつれて、感情がほぐれていく。仲間ともっと会いたいし、もっと多くの仲間と出会いたい。
抜け殻のようだったこの男に、感情生活が甦りつつある。能面のように無表情だったのが、顔に表情が生まれつつある。墨絵のように見えていた世界が、色彩を帯びはじめた。
自分は独りだ、独りぼっちなのだという頑固な思い込みが崩れてゆく。
会長さんをはじめ、運営に尽力されている方々には感謝したい。そして勇気を出して6・23に広島に参集して下さった方々にも感謝したい。(そして、少しだけ、この病気にも感謝。)
この同じ病気で苦しむ「仲間」は、血はつながっていないが、いわば第二の家族だとさえ思っている。兄であり、姉であり、弟であり、妹である。
最後に、全国の脱毛症で苦しんでいる方々には、こう伝えたい。 「あなたは、ひとりではない」。〆
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