| ☆ 前略 星の王子さま王女さま ☆
始めまして。いまだゆうじ、A型、乙女座。社会人1年目。脱毛症歴12年、まだら模様のスキンヘッド歴6年目、カツラ歴0年。脱毛症を克服しているし、人からもそう言われる。脱毛症にはなんの意味もないし、そんなものどうでもいい。医者に原因が分からないんだから、俺にはわからないし、考える時間もない。病気だとも思わない。物理的に「一部の毛が生えない」という現象にすぎないと捉えている。マイナスイメージや偏見もなくしたい。「俺は脱毛症であるし、スキンヘッドにしている」という事実を1人でも多くの人に知ってもらいたい。心置きなくスキン全開で街なかを闊歩出来るから。
脱毛症どうこうの以前に、サックスの練習を再開したいし、ボイストレーニングもしたい。ようやく社会人に成れ、自分の金も時間も持てた。油絵も水彩画も英会話・仏語・独語・中国語も習いたい。大学でお茶を濁しただけだから。何よりも剣道を続けるために、体力トレーニングもしなきゃならない。車と犬と、MOVADOの腕時計なども給料を貯めて買うつもりである。
モットーは、「人生とは壮大な暇つぶしである」という言葉である。この名言は・・・俺自身が考えたのだが、ここにいきつくまでに、幾年月がかかり、何百リットルの涙を流したか知らない。・・・まあ、そんな俺の話を聞いておくれよ。なあ?、、星の王子さま、王女さま!!
☆ 小学生 ☆
「抜け始めるまえ」の俺は自由奔放で、明るく、強いヤツにいじめられ、よわいものをいじめ、女の子も泣かした。それらが原因でバッシングをされ、グループから仲間外れにもされた。小6の時告白されたこともあったが、何を言動すべきかわからず、「バカじゃない!!」といって逃げ去った。今でも、バカなのは俺だったと悔やまれる。・・・王子さま、、王女さま、、そんな俺はいわゆる「フツーの少年」だったんだ。
・・・でもね、「フツー」っていったいなんなのさ!?「フツー」って誰が決めるんだい?「フツー」って言う言葉には、なんの意味も定義もないことに、俺は最近、ようやく気がついたよ。世の中にはいろんな人や物事があるのが「フツー」なんだ。ある人には「フツージャナイと思えるコト」や「想像もつかないコト」だって、実際に世界のどこかに存在するのが「このフツーの世の中」でしょう?それを大人たちは忘れていて、子供たちにも教えられないでいるのさ。「フツーか否か」、「正常か異常か」、「当たり前か特別か」決めつけたあとで、「現実問題としてナニをすべきか」を教えられなければ、大人の役割なんかナンニもないのにね。
過ぎゆく日々のなかで、平成元年9月18日月曜日(小学6年生)たしか13:05くらいの授業で計算問題をしているとき、初めて髪が抜けた。3カ月後には9割ほどの毛が抜けていた。「かわいそうな俺」と何回も自分に言い聞かせた。以来、ブレーカーを落とし、感情を押しころした生活をした。今思えば、自ら「かわいそうだと思い込ませたこと」、「かわいそうだというレッテルを貼ったこと」こそが可哀想だった。すべての「生きる喜び」を「悲しみ」で包み込んでしまったのだから。仲間外れにされたことも脱毛症の一因だと思っていた。
今ではそう思わないし「原因は何か」とも考え込まない。現代医学でも原因不明なら考えるだけ無駄である。解明されればなおさら考える手間もない。さっきも言ったように今の俺にとって、「脱毛症」は「1つのフツーの客観的事実」であること以外の「何事」でもないんだ。そのことにもっと早く気がつくべきだったよ。
☆ 中学生 ☆
小学生のときは抜けるがままの頭で生活していたが、中学生になってから家以外ではほぼ100%、帽子を被っていた。帽子がとれたこともない。相変わらず皆から好かれるような、ブレーカーを落とした日々を送っていた。脱毛症を理由にしたイジメもなかった。「はげ」といわれたのは、個人的に口げんかになったときの2、3回だけだった。「帽子を被っているのは脱毛症だからだ」と皆、わかっていた。先生も相談にのってくれた。修学旅行の直前には、先生に頼み、「今田くんが入浴する時に帽子を取るので、さわいだりしないように」とクラス中に説明してもらった。説明されている間、俺は号泣していた。みんなと一緒の温泉に入ったこと、みんなが何も言わず気を使ってくれたことを、今でも覚えている。小中学校ともに同じ地元の区立だったので、脱毛症を知っていた友達も多かった。
3年になって受験や塾に専念したくなり、所属していた軟式テニス部をやめた。ある塾の先生(嫌われもの)から「教室では帽子を取って下さい」といわれたとき、クラスメイトから「「ポリシーなんだ」って言えばいいじゃん」と大声で助言されたことが嬉しかった。「○○先生(人気者)が取らなくていいといった」と嘘をついた。中学時代は人生でもっとも勉強をし、覚えも回転も良かったので、勉強を楽しめ充実した時を過ごせた。結果、第一志望の私立大学付属男子高に合格した。願書の写真ではさすがに帽子を取ったし、受験のときも移動時は帽子を被り、教室では取った。
☆ 高校生 ☆
高校では、数カ所の円形を残し、初めて入学直前にだいぶ治った。残りの毛でも隠せていた。登下校時は帽子を被り、学校に着く2駅か3駅直前ではずしていた。その後リンデロンやステロイドなどを服用して完治したこともあったが、良かったのは1年生の間くらいで、またぶり返した。ショックも大きかった。
学校では、嫌なこともあった。「俺の過去を知るもの」が2・3人いて、彼等が勝手に俺の頭を「かつら」だときめつけた。小学校のときは生えていなかったかららしい。ウワサはアッと言う間に広がり、ニヤニヤと陰口もたたかれた。まあ、剣道を志していた自分に「(文字どおり)面と向かって」言って来たヤツは1人しかいなかったし、その彼は不本意ながらやっつけたんだけどね。運動部の連中はもともと、かわらぬつきあいをしてくれた。国内的にもサッカーで有名な担任の先生にも「彼は脱毛症であって、カツラではない。そんなこと言うやつはスポーツマンシップに欠けている」という説明をホームルームの時間にしてもらうよう頼んだ。そのときは面倒くさく、学校を休んだ。脱毛症が再発し、どんどん抜けていく髪で、皮肉にも「かつらではないこと」が判明された。
高校から始めた剣道部では、脱毛症を忘れて充実した日々を過ごせた。短い間ではあったのだが。2年生のときに左足第2中足骨を疲労骨折して波乱の日々が始まったからね。ステロイドや、リンデロンを飲んでいたため、骨とそれを守る筋肉が弱くなったからという。通っていた皮膚科からも、「薬を続けるか剣道のようなハードなスポーツをやめるかどっちかだ」と言われた。
迷いつつも剣道のほうを3年生になる直前にやめてしまった。やめてから、好きな数学と英語の塾に通ったおかげで内部進学テストでは良い点がとれ、一番レベルの高い法学部に進むことが出来た。
多感な高校生生活も部活も辛いことが多かったが、「堪えること」と「努力すること」を学んだ。「どんなキツイコトでも、脱毛症に較べれば堪えられる」という特徴を持つようになった。キツイコトをしていると脱毛症を忘れられるしね。
☆ 大学 ☆
入学直前にふとひらめいて、一切の薬をやめ、残っている髪を剃りスキンヘッドにした。外出中や授業中はバンダナをかぶっていたが、むしろ取りたかったし、ことあるごとに取った。
思い出深い剣道部も再開した。大学でも3回骨折してしまった。結果論ではあるが、高校卒業時に止めたはずの薬の副作用かも知れないし、無関係に偶然起きたことかも知れない。「副作用の影響を最小限にするべく、意志表示をきっちりとして、1年間のトレーニングなどをすれば骨折しなかったのでは?」、と今でも悔しくてしょうがない。この悔しさは今のところ人生で一番悔しい。薬にも病院にも一生頼るまい。
部活では「つる」というあだ名をつけられ、可愛がられた。頭を何回も叩かれ、落書きもされ、飲み会ではワサビも塗られたが、海にも山にも、グァムにもいった。スキンヘッドにして良かったし、スキンヘッド以外の俺は考えられない。引退式では、「剣道を好きになってください」といって大泣きした。剣道も剣道部生活も楽しく、儚く終わってしまった。あの頃の生き甲斐だった。今、思い出しただけでも生きる気力がわいてくる。現在は会社の剣道部に入り、暇をぬすんで稽古やジョギングをしている。
勉強をしなかったことが今一つ悔やまれる。学内でも有数のゼミに入れたが、他の授業には力を入れなかった。剣道やバイトをすることこそが、善いことだと思ってしまい、就職先もどこかしら決まると思っていた。就職活動を2年間もするとは思ってもみなかった・・・。
☆ 就職活動 ☆
就職活動1年目では内定先が決まらなかったので、わざと単位を落として留年した。留年を決め、電話で親に報告した直後は、ショックで「腰が砕け」、その場にうずくまった。あんな体験は初めてだった。「人生で二番目の悔しさ」は今、良いバネになっている。途中、公務員を目指したりもしたが、結果として今の会社しか受からなかった。脱毛症の自分やプラスイメージをアピールできなかったこと、1年目で決めるだけの力が不足していたことは、事実として認め、教訓ともしている。何よりももっとも大切にしたいことは、今の会社だけは、俺と脱毛症とスキンヘッドを認めてくれたという事実である。勤務先は1つあれば十分だしね。
☆ イギリス留学 ☆
就職こそ決まったが、2年も費やしたことで焦っていた。取りかえしたいことも山積していた。まずは自動車教習合宿にいった。教習中もホテルでもジャージ姿に手ぬぐいを巻いていた。
思いあまって、人生最後の春休みに留学する決心をした。剣道部の先輩と同期の3人と「フランス、剣道パリ大会ツアー」に参加し、その前にイギリスで3週間半留学することにした。イギリスでは2つの家庭にホームステイをし、フランスではユースホステルなどに泊まった。スキンヘッドについて聞かれなかった。説明もしたが、特別視はされなかった。数えきれない出合いがあり、異なる世界、知らなかった世界と触れ合った。世界観がかわった。余りの感動に、「全世界を知ってしまった」という過信に今も陥っている。地球にはたくさんの人がいて、逆に、地球はとてもちっぽけだと。俺もちっぽけだし、脱毛症など「ナノ」の世界だろう。その世界で沈んでいたこともあったけどね。いつかきっと再留学するために働こうと言い聞かせている。
何かをしたいと思ったら、・・大切なことは、その世界に飛び込むことだろう。自分が楽しめる世界を見つけるためには、それが、シンプルかつ最上なんだろうね。
☆ 社会人生活 ☆
社会人生活は、忍耐と努力のみ必要だと感じた。給料は安いが転職しようとは思わない。「鶏口となるも牛後となるなかれ」。まずはこの会社で這い上がる努力をするよ。ここで駄目なら、他にいっても無理だろうしね。通勤時のスキンヘッドにも慣れてきた。私生活ではまだ、毛糸のネットのような帽子を、それとなくかぶってしまう。
☆ たいせつなことは目には見えない ☆
人間は(生物も物質も?)慣れるという特徴を持つ。脱毛症や辛いことに、慣れ、耐え忍び、「当たり前のレヴェル」を低くすることが一概に良いのか悪いのかは分からない。そこに留まるよりも、俺は、まず行動を起こしたい。できれば、辛いことを忘れられるような趣味や特技を増やし、物欲や食欲をみたせるだけの富を築きたい。沈んでいた時期もあった。すべてがどうでもよく、無意味に思えた時期もあった。それがいけないと思えるようになるのは、いつも「良い状態の自分」に成れてからだけだったよ。
楽しいときにしか、楽しいことは分からなくて、辛いときには、辛いことしか分からないんだろうね。王子さま王女さまも、辛いときには楽しいことに目を向けなきゃダメだよ。「自分で道をみいださなくてはいけない」とか、大人たちはいうけれど、それは、「誰の力を借りなくても、1人だけでできる」ということなんだ。マイペースにやっていけばいいんだよ。
「たいせつなことはね、目に見えないんだよ・・・・。」といつか王子さまは言ったよね。外見にとらわれず、誰の手も借りず、迷惑もかけず、他でもない自分自身のために、「がんばるこころ」こそが「たいせつなこと」だと俺も信じている。明日でも昨日でもなく「今を生きる」よ。もちろん外見にとらわれない人々の「心根」もいいものだよね。
草々
☆ 追伸 「チーズはどこへ行った」を読んで ☆
先日、「チーズはどこへ行った」という本を読んで、驚いた。俺たちと置かれている状況が酷似していたからだ。王子さま王女さまも、是非読んでみては?俺は1日半で読めたよ。とくに、「古いチーズ」を「脱毛症で抜けてしまった髪」に、「新しいチーズ」を「脱毛症以外の生き甲斐」に置き換えてみておくれ。けっして、後者を「髪」に置き換えてはいけない。それは、「古くて、腐ったチーズ」に固執することになるから。
------------完-----------
自称、円形脱毛症を「考え込まない」会会長 今田祐治
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